港川日記

空想の天才

kd3

3歳の彼女。

ブロックを積み上げて、水がたまりりスペースをつくってあげて、お魚を放ちました。そして何やら、モノガタリを聞かせながら、お魚たちを釣り上げています。

なんだろう?

ブロックとお魚があっても、こんな風に遊びはじめられる大人はあまりいないと思います。大人になった私たちも、昔は彼女の様に、自由に空想して、イメージして、やって試してみて、笑えたんだと思います。

成長すると、しなくなるのか?

空想は現実じゃないから、大人になると不要なもの・・・いやいや、そうじゃない気がします。それは、試しにこどもと一緒に小さな滑り台を滑ってみた時に感じました。
その滑り台は室内用の小さなもので、高さ30センチ程度の赤ちゃんにも安心な本当に低いサイズの物なのですが、小さなこどもに「一緒にやろう!」と誘われてしぶしぶやってみたところ、、、、「ビックリ、オモロー!!!」だったのです。(オモローが古いことはお流しください)

いや、目が覚めるというか、目からウロコというか、こんな感覚久々!こんなことでこんなに楽しめるんだ!!って。
日頃さんざん木のおもちゃに触れ、こども達と遊び楽しんでいるはずの私も、室内で小さな滑り台はすべっていなかった・・・
こども達ってすごい世界にいるなあ、と改めて感じさせられる一こまでした。その後もちろん、拒むスタッフにもすべることを進め、大人が何人も順番に滑り台をしたのですが。

公園の大きな滑り台とも違う、なんだか不思議な感覚を覚えました。こんな気付きを、大人の何倍も何十倍も敏感なアンテナでキャッチしながら、こども達は日々成長しているんでしょうね。

さて、最初のお魚とブロックの話に戻りますと、こどもの遊びに加わり、横たわっているお魚を手でもって泳がせたりして、遊びを発展させることは私大人にもできると思います。ところが、遊びをゼロからつくりだすことはこどもには敵いません。現実社会を生き、空想力が乏しくなってしまっていること、羞恥心がめばえ表現を躊躇してしまうことなど、敵わない理由は他にもありそうです。
例えばフィンランドでは宿題は殆どなく、その代わりに「家族でしっかり遊ぶこと」をこどもの育成の中で推奨しています。大人も遊び、ユーモアやジョークを交え、遊び心を忘れない。。。

私たち大人も童心にもどって、もっと真面目に遊んでみたくなりませんか?
自由に空想してやってみて心から笑えうような体験は、きっと私たち大人にも‘自由で新しいクリエイティブな感覚’を取り戻させてくれる気がします。そう、空想の天才、3歳の彼女の様に・・・

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