港川日記

オバマ米大統領来日と平和学習

今日はちょっとおもちゃとは違う話・・・・

 

東京出身の私は、沖縄に住むまで沖縄県が制定した「慰霊の日」の存在を知りませんでした。

慰霊の日は6月23日、沖縄では公休日で正午には黙祷の為のサイレンが鳴ります。

組織的戦闘が終結したとされている日で、戦争で亡くなった方々に哀悼の意を伝える大切な日・・・

沖縄では終戦記念日より、慰霊の日の方がこども達への平和学習に多く取り上げられているような気がします。

 

2004 年8月に、沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが落ちたことも、

東京にいた私は、ニュース番組の最後に流れた映像をかすかに覚えていた程度だったのですが、その当時の沖縄は

「何かが落ちた」

「交通規制がされている」

「黒煙が立ち上り、ヘリコプターが飛んでいる」

「大変なことが起きた」

でも「何が起きたのかまったく知らされない」・・・

 

そして沖縄の人は、全国版のニュース番組の最後に

「沖縄国際大学に米軍のヘリが落ちた」と

ちょっとだけしか取り上げられなかったことに、、、、沖縄で起きている大惨事は、全国的にはこの程度のあつかいなのだ・・・愕然とした。またそれももう慣れっこになってしまった、と。

 

 

東京で生まれ育った私は、本当に何も知らなかったんだとショックをうけ、

私だけでなく東京にいた人は、いやもっと、沖縄県以外の人は知る術がなかったといった方が正しいでしょうか。

 

関心を持っていろいろ調べなければ知ることができない。

 

昨日広島出身の方たちとお話しする機会があり、平和学習の話になりました。

被爆地広島では、生活している場所のすぐ近くに原爆ドームや平和資料館があり、学校の先生方にも被爆体験をされた方がいて、小学生のころから原爆をとおした平和学習がしっかりとされ、DNAに刻むようにいろいなことを感じてきた。と。

 

東京にも東京大空襲があり、平和学習という意味では、学校で過去にあったこととして聞いています。が大都市の生活の中で、過去の出来事としてなかなかリアルに感じることはできませんでした。

 

今も米軍基地問題の渦中にある沖縄や、原爆を投下され他に類を見ない被害を受けた広島・長崎の苦しい歴史は、日本人である以上、全国どこに生まれ育っても共通意識として、もっとしっかり感じていなくてはいけないことなのではないか?と感じます。

 

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昨日のオバマ大統領の広島訪問をニュースのライブでみました。
原爆投下国の大統領が、投下地を訪れるのは初めての亊・・・

 

被爆された方とオバマ大統領が対話するシーン、被爆された方が笑顔を見せていらしたり、もうお一人は涙ぐまれて大統領と抱き合い、、、印象的でした。

 

広島のこと、長崎のこと、沖縄のこと、当事者の心情は想像でしかなく、実際のところは測り知れないもの。。。
どうやったら他人事でなく平和について、もっと自分を含めた多くの人が理解を深めることができるのか・・・考えさせられます。

 

知らないって怖い。
知らないって恥ずかしい。
そしてきっと「平和」という言葉の感じ方も様々。。。

 

福島の件もそう、生きやすいのか生きにくいのか、分からない時代。

 

こども達の世代、孫の世代はどうなっているのか心配ですが
もし伝えられることがあるとすれば、思いやる‘愛’あってこそ、
‘愛’が何より一番大事ということしかないんだろうな・・・と。

 

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被爆者はいずれ死んでしまう。でも苦しみは消えない。

いかに想像できるかが重要。という言葉が印象に残りました。

 

歴史に残る昨日という日、オバマ大統領の被爆地訪問と合わせて、日本の平和学習について考えさせられました。

 

 

 

Post by  Yoshiko Tsuchiya

 

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